松江講演会の報告


講演と対談

犯罪被害者支援と真の償い?
裁判員制度を通して死刑制度を考える

1月16日、アムネスティ松江グループと松江で死刑制度を考える会の共催で、原田正治さんと三宅孝之さん(島根大学理事/副学長)を講師に「講演と対談 犯罪被害者支援と真の償い?裁判員制度を通して死刑制度を考える」を行った。アムネスティ松江グループ関係者、学生を含む島根大学関係者、ちらしや新聞に掲載された記事等を見て参加してくれた方々のほか、数名の新聞記者の参加があった。

最初に三宅孝之さんがスコットランドのエディンバラや米国のバークレー留学時代の経験に基づいて、市民が立法について意見を言うこと、国民が司法に参加することで国民が国を動かすことの意義について話したあとに、日本の裁判員制度の問題に話が移った。そのなかで、スコットランドや米国の陪審員制度とは異なり、法解釈や量刑の審議・判断に3名の裁判官が専門家として加わっている日本の裁判員制度は、市民から選ばれた裁判員よりも裁判官の方がかしこく、判断力があるとみなしているのではないか、という問題提起がなされた。それを踏まえて、国際的な人権基準と日本の人権基準が一致していない問題の指摘がなされた。

原田さんは1983年に保険金目的の殺人事件のなかで弟さんを殺害されてから現在に至るまでの経緯や経験を織り交ぜながら、日本の裁判員制度が「国民感情」と「被害者感情」という二つの感情を代弁するかのように作られ、そのように動いていることに疑問を投げかけた。また、世間の被害者像には「いい被害者」と「悪い被害者」の二つがあり、悲しい顔でうちひしがれている人々が「いい被害者」で、自分のように意見を言い、主張する被害者は同じ被害者であっても「悪い被害者」として見なされることが指摘された。
原田さんはまた、被害者も様々であるにもかかわらず、裁判員制度は「被害者」を画一的にみなしている点においても問題であること、死刑肯定派が80%を超える(その数字も信憑性があるわけではないけれども)といわれているなかで、裁判員が冷静に物事を判断できるのか、実際には加害者とされた人々に対するつるしあげやリンチにつながるのではないか、と問題提起された。講演の最後に、被害者は加害者から謝ってほしいと思っており、謝罪があってこと償いへの道が開けるにもかかわらず、現在の日本の制度では被害者と加害者が出会う可能性が摘み取られていることが問題であることも話された。
講演のあとは、三宅さんと原田さんとの対談が行われ、講演の内容に沿って日本の民主主義の成熟度や正義の味方だと思い込んでいる人々の意識の問題などが議論された。
死刑廃止の立場をとり続け、松江で死刑制度を考える会のメンバーとして今回の企画に携わった私としては、常々、死刑制度の廃止を進めるにあたって、同時に被害者への救済(制度)の在り方が十分に議論されたうえで、現行の制度の大きな改善がなされなければ、死刑制度の廃止は実現できないのではないかと考えてきた。今回、特に原田さんの話を聞き、その思いを強くした。

償いは単純なものではない。謝罪があったとしても、それが償いにすぐに結びつくわけではない。しかし、少なくとも自分が犯した行為を加害者が真摯に受けとめ、被害者に対し心の底から謝罪することを出発点にして、その後の償いの在り方に
ついて考えていくような機会がなければ、被害者の救済は始まらないのではないか。そのためには、「出会い」による「対話」が必要不可欠であり、その可能性を摘み取っている現在の司法制度は大いに問題があるだろう。そのような状況にある
日本のなかで、OCEANの活動は非常に重要なものであると考えている。


清末愛砂(きよすえあいさ/松江で死刑制度を考える会メンバー/Ocean賛同人)

























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